グランドピアノの鍵盤から、ソレアのファルセータが流れ出すのを聴いた時は、本当に衝撃だった。よくあるジャズやロック、クラシック奏法の模倣とは明らかに一線を画した、まるで異色の音質。それが、伝統的なトーケ・ヒターノ(ジプシー・ギター)の指遣いが刻印された、黒い響きのフラメンコ・ピアノだった。

 早くから多彩な楽器を弾きこなすマルチ・プレーヤーとして知られ、見事なカンテも唄う天才アルティスタ、ディエゴ・アマドール"エル・チューリ"。その彼がキャリア中期に発表し、今も燦然と輝く傑作が「ピアノ・ホンド」(2003)である。
 チューリはポリゴノ・スールという、セビージャ南外れの集合住宅地の中でも、個性豊かなアーティストを輩出してきたヒターノ居住区、トレス・ミル・ビビエンダスで生まれた。二人の兄は、ブルース・ロック・フラメンコという新ジャンルで、80年代に一世を風靡した伝説のバンド、「パタ・ネグラ」のライムンド&ラファエル・アマドール。プーロでボーダーレスな環境が、この特殊な才能を育てたのだ。ラジオやCDから流れるビル・エヴァンスやセロニアス・モンク、ハービー・ハンコックからも多大な影響を受けたという。
 ラスゲアード、ピカード、アルサプーア、アルペジオのようなフラメンコギター独特のニュアンスを、ここまで繊細にピアノで表現できるのは、現在、チューリ以外に見当たらない。が、この作品でそれ以上に強烈な印象を残すのは、斬新な即興演奏である。
 6曲目「!Vivan Los Gitanos!(ヒターノ万歳!)」はオーソドックスな導入のブレリアだが、中盤から怒涛のインプロが展開。インスピレーションが渦巻く大海原へ、ノーブレーキで突っ込むチューリのピアノは、光る銀色の弾丸と化し、荒波の彼方へ飛んでゆく。
 不協和音の美。無作為の音符の羅列。次々と眼前に立ち現れては消え失せる、摩訶不思議な精神世界。コンパスやコード進行からも逸脱し、ジャズでもロックでも、そして、ある瞬間フラメンコからも飛翔する、完全なるチューリの世界だ。
 マルチ・プレーヤーと言われ続け、近作「リオ・デ・ロス・カナステーロス」(2008)では、崇拝するカマロンばりのカンテも存分に唄うが、これを聴くと、やはり本筋はピアノだと筆者は思う。
 汗ばむ陽気のこの季節に、アバンギャルドなチューリのピアノ、とくれば、筆者の脳裏にはもう、このビールしか浮かばない。同じくアバンギャルドな新進マイクロブリュワリー(小規模醸造所)、ブリュードッグが送り出した最大のヒット作「パンクIPA」だ。
 2007年の創業時、24歳だったマーティンとジェームズは、「クールで現代的、そしてプログレッシヴなビールの製造に全力を傾け」、業界に一大センセーションを巻き起こした。北海をのぞむスコットランド北東部の街、フレザーバラから出発した彼らは、わずか数年で、極東の日本市場まで到達しえたのだ。
 爽やかなシトラスの香りと強烈な苦味は、IPA(インディア・ペール・エール)特有の、ホップ含有量の多さに由来する。柑橘系のインプレッションの直後に、口中を突き抜けるビター感。が、その小爆発は、強いきらめきを発しつつ、意外にもすぐ消えてゆく。
 鮮烈だが一瞬の光芒。チューリのピアノとパンクIPAは、ビターな人生を送る人間には欠かせない、ほんのひとときの癒しなのだ。

※一週間毎に更新します。次回は5月16日(水)の予定です。

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