山梨の白ワイン、「グレイス甲州」はご存知だろうか? シュール・リーという、ワインを澱に触れさせる製法を用い、地元土着品種「甲州」から生み出された、日本が世界に誇る辛口の白だ。その淡雪のような後口に衝撃を受け、早速このワインに合うアルバムを探した。それがマイテ・マルティンの「ケレンシア」(2000)である。
銀色の巻き毛に黒のジャケット姿が定番のカンタオーラ(女性の唄い手)、マイテ・マルティンは1965年、スペイン北東部バルセロナに生まれた。1987年にラ・ウニオン(ムルシア)のコンクールで、ランパラ・ミネーラ賞(いわゆる最高賞)を獲得し、一躍注目を浴びる。
しかし、フラメンコ発祥の地、南スペイン・アンダルシア出身でないアーティストは、伝統を重んじる保守派からは、つねに懐疑的な目を向けられる。マイテも例外ではなかったが、その殻を大胆に破り、まぎれもないオリジナル表現を確立したエポックメイキング的作品が、セカンドソロアルバムの「ケレンシア」なのだ。
「ケレンシア」とは、「愛しき場所」という意味である。野生動物が本能に導かれ巣に戻るように、私の原点はフラメンコだ、と宣言するマイテ。「フラメンコは私の出発点。決して軛(くびき)ではない」と、わざわざライナーに記すほど、相当の葛藤と苦闘があったに違いない。フアニート・バルデラーマ(1916~2004)のビダリータ、アントニオ・チャコン(1869~1929)のマラゲーニャ、ニーニャ・デ・ロス・ペイネス(1890~1969)のペテネーラと、巨匠たちの十八番をマイテ流に唄い切る力量は、本当に素晴らしいの一言だ。
詩人ラファエル・デ・レオン(1908~1982)原作の「四つの愛のソネット」の一部を唄う1曲目「テン・クイダオ(気をつけて)」も、珠玉の名唱である。
危険な相手だ、「テン・クイダオ!」と周りからとめられても聞き入れず、突き進んでしまう愛。オルビド・ランサの物哀しいヴァイオリンが悲恋の予感をあおり、終盤、相手の懐に飛び込んでゆくシーンでは、一転して伴奏がフラメンコギターに変わり、不穏さを掻き鳴らしてゆく。
私はあなたの庭に入り込んだ
番犬たちの吠え声を後にして
ついにあなたの接吻という 鉤爪の餌食になる
危険を冒して 死んだって構わない
狂ったような接吻が 身体を満たしてゆく
あなたの愛は 私を骨までも貫いた
こうした歌詞を唄っても、決して感情過多にならない、マイテの凛とした中性的な声は、実に魅力的だ。その澄み切った透明感が、冒頭の「グレイス甲州」と重なるのである。
ワインの本場、欧州にも認められた日本の味と、フラメンコの本場・アンダルシアから離れたバルセロナで育まれた歌声。蒸し暑い夏が真っ盛りの今、一服の清涼剤としてぜひ、両者の実力をお試しあれ!
※一週間ごとに更新します。次回は8月9日(木)の予定です。