グラスに糸を引く糖蜜のような、甘く黒い響きの歌声に、思わず聞き惚れてしまう。稀代の歌姫、コンチャ・ブイカがスペインの音楽シーンに颯爽と登場したのは、2006年発表の「ミ・ニーニャ・ローラ」の爆発的ヒットがきっかけだった。
1940~60年代頃に流行したスペインの大衆歌謡「コプラ」を、フラメンコ界の名プロデューサー、ハビエル・リモンやニーニョ・ホセーレ(フラメンコギター)らと組んで見事に復活させた同作は、2007年度「最優秀スペイン歌謡アルバム」を受賞する。
その後、現在に至るまでの数年間の快進撃の軌跡を、あまねく網羅したベスト盤が、本作の「エン・ミ・ピエル」(2011)である。
5月26日に日本公開予定のアルモドバル監督の新作「私が、生きる肌(原題:La piel que habito)」の劇中歌の2曲を始め、キューバの天才ピアニスト、チューチョ・バルデスとの共演や、英国出身の人気ロック歌手シールとのデュエットまで、ブイカの重層的な才能を十二分に味わえる2枚組、全26曲は非常にクオリティが高い。
その中でも初期の作品「ニュー・アフロ・スパニッシュ・ジェネレーション」には、ブイカの出自を物語る重要な一節がある。
多くの祖国 多くの政治的信条
心を亡くして 死んでしまう君
私は違う 私は自由だから
私はアメリカ人じゃない その血も混じってないの
ヒターナ(スペインのジプシー/ロマ)でもないわ
内側はパジャ(白人)でもない
私はアフロ・アメリカンでもない
ここが私の国 私はバリオ(地区)出身
マドリードがその中心になる
ニュー・アフロ・スパニッシュ・ジェネレーションの (抄訳)
1972年、スペインのマジョルカ島生まれのブイカだが、両親はアフリカ大陸の中央部、赤道ギニア共和国(第一公用語はスペイン語)からの政治難民だったという。しかもブイカは幼少時代、ヒターノの居住区で育った。そこはコプラやカンテ・フラメンコが、近所の家の窓から絶えず聞こえてくるような環境だったと、来日時(2007年)のインタビューで語ってくれたことがある。
アフリカ出身の難民が、スペインで、同じくマイノリティのヒターノと共に暮らし、音楽の道を志す。こんな民族や国籍を超えた、ユニバーサルなバックボーンが、"ニュー・アフロ・スパニッシュ"を代表する、ブイカの奥深い魅力につながっているのは間違いない。
誰もが寝静まった夜更け――これこそがブイカを味わう絶好の環境である。酒はもちろん、彼女の声を彷彿とさせる、甘く濃厚で、香り高いラムがベストだ。今回はその代表格、中米グアテマラ産の「ロン・サカパ・センテナリオ23年」をご紹介しよう。
この「サカパ・センテナリオ」シリーズの特徴は、約2300mでの高地熟成もさることながら、その熟成方法に、なんと「ソレラ・システム」を採用している点である。
詳しい人ならピンと来るだろう。そう、フラメンコの聖地、ヘレス名産のシェリー酒ならではの熟成技法だ。
異なる熟成年数の樽を幾層にも積み上げ、出荷のために最下段の樽の中から抜き取ると、その上の樽から順繰りに下の段へ、空いた分を注ぎ足してゆく。こうすれば、原材料の出来不出来にかかわらず、常に安定した品質が保たれる、というわけだ。
シガーの吸い口をたっぷりとサカパに浸し、立ち昇る煙を眺めながら、ブイカの黒艶ある美声に、いつまでも、どこまでも酔いしれる。何かと気ぜわしい昨今、たまにはそんな時間を持っても、バチは当たるまい。
※一週間毎に更新します。次回は5月9日(水)の予定です。